0123 訴えてやる!part3
それから4年の歳月が流れた…。
時は立ち、私は大学を卒業して社会人になり、証券会社で社会に揉まれて住まいも東京になり生活は一変したがやがては海外留学のために退職を決断し再び埼玉の実家に戻ることになった。
留学の準備期間として自由気ままに過ごす、そんな時間がある身になって自身の暗い過去を晴らすべくあの借金問題を解決しようと再び考え始めた。学生時代にBに対して手続きをして起こした一連の法的措置はあくまで民事事件としての形式であったが、ある時ふと思い浮かんだのだ。そういえば借用書にあったBの会社の住所には会社は実在していなかった。これは虚偽の事実を告げていることではないか。したがって一般的には詐欺罪にあたるのではないかとひらめいたのだ。民事事件でいくらこちらが責めたてても相手が支払いをしなければ実質的には取り立てるのは困難だ。今回のケースでも小額訴訟の勝訴判決を根拠にしたBの預金の差し押さえを申し立てて裁判所の決定により銀行の預金残高の通知を受けたがそこには2円とだけあるだけだった。不動産の資産を持っていれば都合はいいのだが、そうでない場合は一般的な動産に価値のある物を強制執行で差し押さえ借財の充当にするのは限界がある。しかも強制執行にも金がかかりそれを負担するのは債権者である。実質的には裁判を起こされた時点で相手がこちら側の最終行動を予測すれば財産を隠すことができるのでどんな強制執行も無駄になるのは制度の矛盾といえばそうだが現実的には法律も完璧ではないことが若くして得た教訓でもあった。
しかし金を借りるため嘘をついたことを刑事事件として訴えれば相手は刑事罰として受ける社会的制裁はかなりのダメージになるはずでその最終手続きの前に必ず返済を申し出てくるに違いないと思われた。今まで私はこの事件に関しては並々ならぬ怒りを引きずって生きてきたので今度こそBを追い詰め必ずや返済させる、いや返済能力が無かったとしても合法的懲罰を与えて徹底的に懲らしめ長岐に渡り私を苦しめた償いをさせてやると決意を新たにし早速下調べを開始した。そして基本的に事件には明確な証拠がありさえすれば訴えを起こすことができるという結論に達した。確かに単なる喧嘩や腹いせのような理由で何でもかんでも被害届を出されれば警察署でも裁判所でも業務が立ち行かなくなるが、私には訴えを起こす明白な証拠があったし、もはや納税者である一市民として被害届を出すことは認められた権利のひとつであるはずであった。
満を持して私は借用書に記載されたBの住所を管轄する春日部警察署に乗り込んだ。受付に行き事情を話して被害届を提出したい旨を告げた。すると刑事課に通され一人の刑事が私の話を聞くために廊下の長椅子で話を聞いてくれた。それなりに貫禄のある、体育会系のようながっしりとして鋭い目つきはいかにも刑事といったイメージにはそう遠くない容貌であった。私は必死に事情を訴えた、しかしながら相手の刑事は訝しげな表情で話を一通り聞いたうえでなにやら否定的な意見を述べ始めた。私の考えは単なる借金問題を刑事事件にまで発展させ自らの実力で行使できないために相手を懲らしめたいという欲望や恨みを警察機関を利用してただ晴らしたいとする短絡的動機は軽率だということを言い返された。しかも終始その刑事は私に対して「お前」という呼称を使って話していて、元来初対面でもなめられる印象がある私は特に気にはしていなかったのだが市民の味方である刑事の印象とは違うし、段々とこの傍若無人の態度に違和感を感じ、そして私はこの切り札を失うともう後が無いために焦りも出始めて陳情をするように腰を低く食い下がった。
相手も私が諦めずにしつこくして時間をとられていることに苛立ちを感じたのか、段々とエスカレートして吐いて捨てるように眉間に皺を寄せつつ喝破してきた。言いくるめようとしたのか彼が刑事として、あるいは警察官としては言ってはいけないあるまじき言動をした瞬間を私は聞き逃さなかった。「お前のやっていることはマスタベーションなんだよ!」私は神妙にして彼の話しを聞いていたがその言葉を聴いた瞬間に「えっ」と思って少し驚き顔を上げてそして一瞬考えた。今の言葉は酷すぎるだろう。いくら刑事とはいえ言っていいことと悪いことがある。そして私は急にスイッチが入ったようにキッとその刑事を睨み付け「ちょっと待ってくださいよ刑事さん。今の言い方は無いんじゃないですか。」と今まで話していた声のトーンとは一段階低いもので怒りを露にして鋭い形相で迫った。こちらはどうにもならずに万策尽きてここへ辿り着き、最後の望みで相談をしている。その相手である刑事にまで罵られ批判されるとは世も末だし、非道の極みではないか。私は打って変わって声を荒げて刑事に向かって正理正論をかざしてキレたように対抗した。「その言葉ここの署長の前でも言えるんですか!えー!?」形勢は逆転した。
刑事は自分の発言がまずかったことにすぐに気づいたようで私の態度にもやや驚いたであろうがすぐにその発言を訂正し謝罪をした。そしてそれからすぐに「分かったじゃ被害届は受理するから。さっきのことは悪かったな。」そういってその後の手続きをする流れになった。彼はこのことを口外されたら大変な処罰が下るという公務員の生き死にかかわるほどの失言であると悟ったのだろう。私は目的が果たせればそれで良いのでまた打って変わって謙虚に謝意を表して指示に従う素直な青年でいるための態度に逆戻りした。協力してくれるのならそれは刑事さんに良い印象を持ってもらうことがこちらの最終目的を達成する上では重要なことである。彼にしっかりと仕事をしてもらえば強力な援軍になりBに対する決定的な圧力になることは間違いない。そして調書をとる日取りを決めてその日は帰路についた。
数日後、警察署の取調室の狭い部屋でその担当刑事に具体的にBとの間に起きた事件を事細かに聞かれ調書を作成していった。心理的な圧迫感のある部屋の狭さでありきっと容疑者などもこの部屋で取り調べを受けるのだろうと思われた。数時間はかかったろうか、本当に根堀葉堀聞かれて数年前の記憶なので曖昧なところもあったがよく処理してやっていただいた。やはり当初の思惑どおり証拠としての一枚の借用書の存在が実際には有効に作用していることに私の判断と行動は好転しているように思われた。そして実際の金の受け渡し場所である春日部駅前に行き当時どのように渡したかを再現して実況見分をした。私が運転席に乗り封筒を、もちろん空だがそれを相手役の刑事さんに渡す素振りを別の刑事さんが証拠として写真を何枚か撮っていた。いよいよ自分は事件にあった被害者であるということを実感した。これでほぼ手続きは終わった。後は刑事さんがいまや被疑者となったBに事情を聞きにいくという手続きが行われるということだった。Bは一体どのような反応をするのだろうか、民事裁判であれだけ逃げ続けたBである、たとえ刑事が出向いて詐欺の容疑がかかっていると知ったとしてもすぐに金を支払うとは到底考えられなかった。また巧妙な言い訳や逃げる糸口を見つけてすり抜けるのではないだろうか。例えそうだとしてももはや刑事さんにすべてを託して粛々と手続きを進めてもらうしかない。人事を尽くして天命を待つのみである。あれからもう4年も経過している、いまや就職もしてさらにはその会社を辞めて留学を予定してはいるがいつの時も金は先立つもので必要なものである。この40万円という不良債権が私の暗部であり、その悔恨の念を晴らして新たな人生を歩みたい。すでに返済が無ければ苦しい財政状態というわけでもないが区切りを付けたいという思いもあり新たにアルバイトなどで資金を溜めるよりは全うな生業であると言い聞かせた。
警察沙汰にするとはなんとも穏かではないし人に軽々しく話せるような話題でもない。危険なやつだと思われなくも無いだろう、しかし自分で行動を起こさなければ誰も助けてはくれない無情な世間であるし、たとえ実現不可能な活動であっても最後までやり抜くことで納得感も得られるかもしれない。この世には正義を担保してくれる機関があるということは文明の成果であり、弱者の心理的砦でもある。やはり許されざるべきことは正当に裁かれるべきでこれをしっかりとこの目で見届ける権利があり、かつ義務でもある。果たして社会制度は私を助けてくれるのかと。
手続きに関して私が出る幕はなくなったのだが、刑事さんは直接Bの住所を訪問しそこで相手と面談が実現したことを報告してくれた。Bの言い分はどうやら金は返すつもりだが今は無いという相変わらずの返答だったようだ。もちろん私に虚偽の情報を記載した借用書を提出したことに関しても意図したことでは無かったとのらりくらりとかわしては少なからずとも出来るだけの金額を早い段階で返済をしていく意志があると表明したとのことだった。刑事さんもBに対して誠実に対応し早急に返済をするよう諭してくれたと言っていたのだが、私はその程度でBが素直に耳をそろえて借金を返済するとは考えられなかった。これほど時間が立ち、Bが私に対してとってきた不義理によって信頼はとっくの昔に消えうせ、根深い疑いの念で一杯であったからである。Bの話は一言たりとも信用ができない。私はその報告を単なる途中経過としてしか認識していなかった。もちろん奇跡的にBが全額を返済にくれば話は別だが、それ以外のいかなる反応は受け入れるつもりはなく、あくまで最終的な目的は詐欺罪でBを有罪にする心づもりはブレることなく確固として君臨していた。
それから数日後、動きがあった。Bから電話があったのだ。何年ぶりかの直接連絡、最初私の携帯には知らない番号からであったためBが名乗ったときには一瞬緊張が走った。ここであったが百年目、長年の仇にいままさに電話越しに対峙している。私は神経を集中させて気を引きしめて臨んだ。そして相手はあまり悪びれる様子はなく、言い訳をするようなこともしないで警察の捜査にまで及んだ今回の件を早々になんとかしたかったのだろう、単刀直入に切り出した。全額は今すぐ用意できないから、とりあえず10万円だけ返すから今すぐに出てきてくれないかということだった。私は始めてBが自ら返済を具体的に申し出てきたことに刑事事件として行動した成果が現れたと納得したのだったがそれも束の間、この提案はBがさらに逃げるための最小の犠牲、いわゆるトカゲのしっぽ切りであるに違いないと直感した。Bは40万円ある借金を10万円だけ返済して残額を返済する意志はなく絶対にまた逃げおおせる。今なら刑事事件として捜査が進んでいるがこの10万円を掴んだらおそらく返済の意志を私が認めたことになり、翻って単なる民事の借金問題に成り下がるのではないかと懸念された。いや確実にそう仕向けている魂胆である。Bの狡猾さに再三再四また騙されるわけにはいかなかった。自ら行動をしてきた相手は現状に関して相当な焦りや切迫感を持っているに違いない。ここでの駆け引きで有利なのは私の側にある。そしてこの提案は受けいれられない旨を告げあくまで全額返済でなければ応じるつもりも会うつもりもないと断固として拒否した。Bは食い下がってきては15万円に引き上げるからと、今隣にいる知り合いの会社社長にも証人として立ち会ってもらうと懇願してきたが、私は一切受け入れるつもりはないと頑なに固持した。やや押し問答になったが、もはや白か黒かではっきりさせたかったので私は金が全額用意できたら告訴を取り下げるとだけ告げて、それ以外にはもう連絡をして来なくてよいと話を終わりにした。Bは自分の提案が受け入れられなかったことに不本意ではあったようだが、最終的には私の意向を踏まえることができない不可抗力であきらめざるを得なかったのだろう。私は電話を切った後に大きく深呼吸をしてこれでいいんだと頭の中で言い聞かせ、気勢をはった興奮気味のテンションを落ち着かせた。それから再びBから直接連絡が来ることはなかった。
私はこのままBに対する刑事事件の捜査が起訴まで発展することを願い日常生活を送っていた。その間も刑事さん達警察機関が粛々と手続きを進めてくれていると思ってはいたが、頻繁に連絡を取り合うこともなく進行の過程がどのように進んでいるかを把握してはいなかった。絶対的有利な立場であると認識していたことと40万円という大金とはいっても人生を左右するような金額ではないために、それから特に事件のことに関しては気にせずに過ごして月日は流れていった。刑事事件の手続きにもなるときっと時間もかかるのだろう。その間もBが事件の被疑者に成り果て精神的ストレスを感じているであろう間接的な罰を受けていることにある種の安心感と満足感があることは事実だった。陰険と思われようがこれが被害者感情そのものであることは私が体験した紛れもない真実であると思う。
それから時間が経つも警察から連絡はなかった。そのことについて刑事が仕事をしているのかと憤ることもなかったし、強いて言えば実は思った以上にハードルの高い目論見で裁判所の判断で単なる借金問題の延長上と解釈され不起訴処分にされるという最悪な結末を恐れていないわけでもなかったのだが、もし仮にそうだとしても私には失うものがあるわけでもなく、単に被害届を出す前の立場に戻るだけのことであるからして別段、事の推移を固唾を飲んで見守っていたわけでもなかった。そのころにはもう私はどちらかというと留学へ向けて気分は高揚して大いなる異国の地へ踏み出す夢への憧れを日ごとに膨らませていくことへ関心が移っていっていた。刑事事件は時間がある好機から取り組んでいて駄目元でもあったが、社会制度を活用する意味も込めてリアリティを将来に役立つよう持つ経験ができればそれだけでも失った40万円が少しでも長い人生を踏まえての授業料になると甘受できなくもない。
人間の感情は時とともに薄れていくものだ。神がいるとしたらなぜ怒りという感情を人間に与えたのだろうか。そこからは争いや憎しみ、非建設的な破壊しか生み出さないはずである。人間なんて罪深い生き物だ、叡智を与える代わりに決して理想郷にたどり着けることができないように神が与え給うた諸悪の根源、つまりは罰なのかもしれない。しかしその与えられた難儀にも唯一時だけがその辛苦を徐々に解放させてくれる不完全な許しを贖罪としたのではないだろうか。そして事件は思いもよらない形で終焉を向かえることになる。
Bからの最後の連絡から数ヶ月が経ったある日、一通の封書が届いた。差出は検察庁からであった。封を切ると中にはA4用紙一枚に通知書と名打った多くない文字数、わずか2行で内容が書かれていた。
「Bに対する詐欺事件(事件番号××)は平成●年●月●日、不起訴処分(被疑者死亡)としたので通知します。」
一瞬その内容に目を見張った。もちろん驚いたのだが、その驚きは大きいものではなかった。あまりにも端的で判然としていたからなのか、自分のとるべき行動を考えさせられるものではなく、特に感情が露になるということもなかった。なぜ死亡したのかはわからない、でもあぁ終わったんだ。金を貸したあの日から4年ばかりが経過していた。これで債権は貸し倒れが確定的になったがBには人生最大の不幸が訪れ私が負った苦しみよりもはるかに比べ物にはならない哀れな結末に至ったのかと。それだけを思い、もはや許すとか許さないとかそんな次元ではなかった。もちろん、たかが40万円で私が彼を追い詰めたわけでもあるまいし死因について詮索をする必要もないのでその事実を受け止めた上で全てを過ぎ去ったことにして深くは考えなかった。今回の件に関しては明らかに幕引きであり、債権が返ってこないことを悔しいとも全く思わず、それでいてBに対して気の毒だと思うこともなかった。その他思うことは何もなかった。正直にいうと虚無感すらなかった。この結末に対してそれ以降の自分の生活も何一つ変わることもなく、普遍的に流れていった。そういった過去が存在しただけであえて口外することも、思い返して感慨にふけることもない。ただ唯一、因果応報という言葉が脳裏をよぎったことは確かである。